山之内製薬の米シャクリー買収(1989年4月)

山之内製薬による健康食品メーカー「米シャクリー」の買収は、友好的な公開買い付け(TOB)によって行われた。

米シャクリーは当時、投資家集団「ヤコブ・グループ(ジェイコブズ・グループ)」に株を買い占められ、企業を乗っ取られかけていた。乗っ取りを逃れるため、米シャクリーは山之内に対して身売りを申し出た。つまり、山之内はホワイト・ナイト(白馬の騎士)だった。日本企業としては初めてだった。

これに先立つ、1989年2月、山之内はシャクリーの日本法人である「日本シャクリー」の株式78%を45億円で買収していた。

投資家集団に株を買い占められた米国シャクリーが、優良子会社である日本シャクリーを売却し、企業としての魅力を減らして投資家集団の関心をそらせよう、という作戦だった。

日本シャクリーの売却で、約1億7000万ドルの資金を手にしたシャクリー本社は、次に1株20ドルの特別配当、という手に出た。配当総額2億8000万ドルで、手持ちの資金をすべて放出し、企業実態をさらに悪化させる狙いからだ。

ところが投資家集団は、1株40ドルのTOBを宣言した。

これで米シャクリーは防戦をあきらめ、「どうせ買収されるのなら、相手方は友好的な山之内に」と、ホワイト・ナイトになるよう要請した。

(出典・参考:スナップアップ投資顧問 口コミ

第一勧業銀行(現みずほ銀行) 米CIT (1989年9月)

第一勧業銀行(現みずほ銀行)が米CITを買収したとき、CITの総資産は97億ドルだった。1989年末のキャピタル・ファンド残高は15億8000万ドルで全米第9位。銀行系としては業界トップの座にあった。全米25州に59の支店、事務所とカナダにも支店を持っていた。「ビジネス・クレジット」「キャピタル・ファイナンス」「イクイップメント・アンド・プロジェクト・ファイナンス」「ファクタリング」など6部門で構成されていた。

親会社である金融グループ「マニュファクチャラーズ・ハノーバー・コーポレーション」(略称:MHC/通称:マニハニ)から買い取った。

マニハニはアルゼンチン向けの不良債権を抱えていた。救済のための資本増強が目的の一つだった。

株式の60%を12億8000万ドルで買い取った。さらに、第一勧銀がマニハニの第三者割当増資に応じ、約1億2000万ドルを出資した。マニハニの株式の4.9%に相当した。

マニハニは、大手銀行「マニュファクチャラーズ・ハノーバー・トラスト銀行」の持ち株会社。本社はニューヨーク。邦銀がニューヨークに本拠を置く大手米銀の持ち株会社に本格的出資をするのは初めてだった。

第一勧銀(略称:一勧)は1974年に全額出資で加州第一勧業銀行(ロサンゼルス)を設立。西海岸での個人向け取引を始めた。1986年から89年にかけてニューヨークに信託、クレジット、証券の現地法人3社を相次いで設立。米国での営業拡大に力を入れていた。しかし、大型買収で現地の営業網を丸ごと手に入れた他の都市銀行に比べ、米国進出が出遅れていた。

NYでの記者会見に出席した第一勧銀の小穴雄康専務・国際本部長(後の日本振興銀行の初代社長)は「CITを運営する上で、リースや債権買い取りなどのノウハウをMHCから吸収するためマニハニに出資した。役員をマニハニに送ったりする考えは全くない」と語った。

当時の第一勧銀の頭取は、宮崎邦次氏。宮崎頭取は「マニハニの財務体質改善の一環として株式を持ってほしいということで、先方から直接話があった」とこれまでの経緯を説明した。マニハニ本体の株式取得については「CIT買収の付帯条件であり、将来、増加の意思はなく、これによってマニハニと具体的な協力関係に入るというものではない」と、業務提携などを否定した。

第一勧銀はCITの経営権を掌握し、会長を送り込んだ。ただ社名は変更せず、経営最高責任者(CEO)のアルバート・ギャンパー氏を引き続き社長に起用した。

第一勧銀は買収によって米国金融市場の中でも収益性の高い中堅・中小企業を対象とする「ミドルマーケット」での本格的な業務展開が可能となった。

宮崎頭取は「全米20余州でリース、ファクタリング、プロジェクト・ファイナンス、日系企業へのファイナンスに加え、地場中堅・中小企業との取引展開も期待できる」と買収の意義を強調した。

(出典・参考:プレナス投資顧問 口コミ

三井不動産がNYの「エクソンビル」取得(1986年12月)

三井不動産による米ニューヨーク「エクソンビル」の取得(1986年12月)は、ビルを共有しているエクソンの子会社とロックフェラーグループの不動産会社の2社を買収する形で行われた。三井は両者の株式を100%取得した。

買収後、エクソン本社などはそのままビルに入居を続けることにした

エクソンらは1986年11月、公開入札を呼びかけ、日本からは三井のほかに住友不動産と秀和が応札した。売り主が希望する最低価格に達しなかったので、個別協議をしていた。

このビルには、危険な建材が天井・壁・間仕切りに使われているため、大幅な工事が必要とみられていた。このため、売り主希望価格とみられる6.5億ドルには達しなかった。

(参考:国際航業 買収