越後正一氏の人生・経歴

越後正一氏は滋賀県彦根市の出身。15歳の時に、伊藤忠2代目の伊藤忠兵衛氏に見いだされた。1925年(大正14年)、神戸高等商卒業後、伊藤忠商事に入社した。

戦前は中国の青島や奉天など海外に長らく赴任した。終戦もソウルで迎えた。

引き揚げ後は、名古屋支店長や綿糸布部長を歴任。綿糸畑が長かった。1950年、1951年(昭和25、26年)の繊維市況の混乱期に当時の金額で10億円に上る利益を上げた。「相場の神様」の異名をとった。

伊藤忠の社長として

伊藤忠の社長に1960年(昭和35年)に昇格した。その後は、他の大手商社に比べて遅れていた脱繊維を果たすべく、事業領域を拡大。鉄鋼部門の強化や不動産部門の新設を指揮した。

アラビア石油への資本参加

特に海外の資源開発には積極的だった。アラビア石油への資本参加、東亜石油への経営参加など次々に手を打った。後に伊藤忠商事の柱の一つになる石油部門の基礎を作った。

豪州での鉄鉱石開発なども手がけた。非資源国日本の発展を支えた。

さらに、いすゞ自動車とアメリカGM社との提携はじめ数多くの国際事業提携や技術導入の実現に尽力するなど、広範な事業展開で伊藤忠商事を総合商社へと導いていった。

根っからの近江商人

越後正一さんは商社マン、ビジネスマンなど現代風な呼び名より、昔ながらの商売人という言葉の方が似合った。ご自身も滋賀県出身なので誇らしげに「近江商人」と名乗っていた。

商機をつかむと粘り強く攻めたて、いつしか自分のペースに引き込み、商談をまとめてしまう手腕はすごみがあった。大阪商人の実践訓「始末、算用、才覚」を体現していた。

動画

伊藤忠の会社紹介